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ヤマタノオロチとは 実は暴れ川のことだった

河川治水学的解説です
ヤマタノオロチが川だったなんて、いったい どういうことでしょう。
まず、川全体のすがたを見てみましょう。上流で分かれる支流が尾。一本になって、くねくね流れる部分が胴体、そして、河口で分かれる派川が首、と考えると、ヤマタノオロチそっくりです。
ヤマタノオロチだといわれる斐伊川の現在の長さは153km。鳥取県東部、船通山から流れでると、いくつもの支流をあつめながら、杉など木々のおいしげる深い谷間をぬけ、出雲平野をつらぬき、宍道湖にそそいでいます(1639年以前は日本海にそそいでいました)。
川の上流部は、砂鉄の産地です。昔から、ここの砂鉄は「たたら製錬」といって、日本刀の材料にもなっていました。砂を流し砂鉄を沈殿させてとるカンナ流しによって、川床が砂鉄をふくんだ砂で赤さびた色になります。切られたヤマタノオロチの尾からツルギがでてきたり、その血で川が赤くそまったり。まさに、斐伊川はオロチそのものです。
美しい姫の名は、クシナダヒメ。漢字にすると、奇稲田姫(日本書紀)と書きます。つまり姫とは田のことでした。斐伊川の洪水が毎年のようにおこり、丹誠こめて育ててきた稲田を流し去っていたのでした。
そこで、スサノオノミコトは策をたてました。まず垣をめぐらせました。これは堤防だと考えられています。八つの門は堰、八つのタルはため池(遊水池)で、洪水(ヤマタノオロチ)をここにみちびいて、勢いをやわらげたのだと考えられています。
切りさいた尾からツルギがでてきましたが、川の上流で刀の材料になる砂鉄がとれることを考えると、なるほどとうなずけます。
さて、スサノオノミコトはクシナダヒメと結婚します。これは、治水に成功し、地域の人々の尊敬をあつめ、この地を治めるようになったことを意味しているのでしょう。
水害に痛めつけられながらも、洪水と戦い、土地を守ってきた古代の人々の姿が、感じとれるお話と思います。

神話の場人物
「スサノオ(スサノヲ、スサノオノミコト)」は、日本神話に登場する一柱の神である。『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記する。
「ヤマタノオロチ」という名称の意味については諸説ある。「オロチ」の意味として、「お」は峰、「ろ」は接尾語、「ち」は霊力、また霊力あるものの意などとする説もあるが蛇の一種の古語である「ミヅチ」や、ヤマカガシを「ヤマカガチ」と古来言った件などに見られるように「ち」とは蛇の意味と考えるほうが自然であろう。
「オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)」は、日本神話に登場する神。別名 和多志大神、酒解神。オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた。
「アシナヅチ・テナヅチ」は、日本神話のヤマタノオロチ退治の説話に登場する夫婦神である。『古事記』では足名椎命・手名椎命、『日本書紀』は脚摩乳・手摩乳と表記する。
「クシナダヒメ」は、日本神話に登場する女神。『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫と表記する。「奇し稲田(くしいなだ)姫」すなわち霊妙な稲田の女神と解釈される。
「斐伊川」は、古来より度々大洪水に見舞われ、暴れ狂う斐伊川を大蛇に例え、洪水と先人の戦いを「八岐大蛇(やまたのおろち)」神話として伝えられていると言われています。 斐伊川上流域は昔から砂鉄を精錬して鉄を作る「たたら製鉄」が盛んに行われ、その砂鉄採取のために山肌を削り土砂を川に流し、比重の違いで砂鉄分のみを分離する「鉋流し(かんなながし)」により、必要ない土砂を川に流したため下流域に多量の土砂の堆積をもたらしました。
 この結果、斐伊川本川下流域は全国有数の砂河川となり、その堆積した土砂により、全国でもまれな天井川となりました。そのため、斐伊川は度々洪水による氾濫を繰り返し、流域住民に多くの試練と苦難を与えてきました。しかし先人たちは、洪水のたびに変化する流路を氾濫した土砂を活用して堤防を築き、人工的に川を付け替え(「川違え(かわたがえ)」)ながら、洪水による氾濫を防ぎつつ、この肥沃な土砂を活用して、宍道湖を干拓し「新田開発」を行いました。

このお話は、古事記や日本書紀にでてくる神話です。
高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(斐伊川)の上流の鳥髪(とりかみ、現奥出雲町鳥上)に降り立った。川上から箸が流れてきたので、川上に人がいると思って川を上ってみると老夫婦が泣いていた。その夫婦はオオヤマツミの子のアシナヅチとテナヅチであった。夫婦には8人の娘がいたが、毎年古志からヤマタノオロチがやって来て娘を食べてしまった。今年もオロチのやって来る時期が近付き、このままでは最後に残った末娘のクシナダヒメ(奇稲田姫)も食べられてしまうので、泣いているのであった。
スサノオは、クシナダヒメを妻として貰い受けることを条件に、ヤマタノオロチ退治を請け負った。スサノオはクシナダヒメを守るためにその姿を櫛に変えて髪に挿した。そしてアシナヅチ・テナヅチに、強い酒(八塩折之酒)を醸し、垣を作って8つの門を作り、それぞれに醸した酒を満たした酒桶を置くように言った。準備をして待っていると、ヤマタノオロチがやって来た。オロチは8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。オロチが酔ってその場で寝てしまうと、スサノオは十拳剣を抜いてオロチを切り刻んだ。尾を切り刻んだとき、剣の刃が欠けた。剣で尾を裂いてみると大刀が出てきた。これは不思議なものだと思い、アマテラスにこの大刀を献上した。これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。
ヤマタノオロチを退治したスサノオは、宮殿を作る地を探して出雲国の須賀の地へやって来て、「ここに来て、私の心はすがすがしい」と言ってそこに宮を作った。それでその地を須賀という。宮が完成したとき雲が立ち昇った。そこで、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。スサノオはアシナヅチを呼び、宮の首長に任じた。

河川治水に関わる者にとっては斐伊川は聖地みたいなところなんです。
あの人はきっと改心したヤマタノオロチとか、いゃあおいしいモノ作ってくれるのはクシナダヒメとか妄想するのも楽しい。
by enasanroku | 2012-10-15 21:34 | その他
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